マレーシアの工業化は, 1970年代に始まる新経済攻策によって強力に進められるブミプトラ政策の中で進展する. 新経済政策は, 貧困の除去と社会構造の再編を通じて国民統合を実現することを究極目標とし, その数量的な目標が長期展望計画の中で示された. 長期展望計画のターゲットとして, 資産所有(株式)面では, 1990年に, ブミプトラ3割,非ブミプトラのマレーシア人4割,外国人3割という目標値が設定された. また雇用面でも, 著しい人種的偏りを1990年までに解消するという目標を設定した. ブミプトラ政策により, 資産と雇用のターゲットの実現を期して, 政府が国家資本を動員し, 商工業部門における公企業活動を積極的に起こし, 所得と富をブミプトラに有利に分配することとなった. この政策に基づいて, 公的資金を動員して英国系,華人系企業の買収, 取得・ブミプトラによる企業の経営管理, 資本蓄積が進められた. その中での工業化政策は, マレー人の経済的地位の向上のための人種間の富・所得の分配政策であった. 70年代に入ると, 外資主体の主に自由貿易地区に立地する製造業事業所, ないし同地区外の保税工場(LMW)の労働集約型輸出工業化が進展し, 輸出の中で製造業製品が次第に重要な役割を果たすようになった. マレーシアの工業化は, 外資への依存性が高い. これは東南アジア諸国一般にみられるものであり, 基本的には, 途上国の低賃金と豊富な資源を利用し, 製品を先進国に輸出する巨大多国籍企業の世界戦略に由来する. しかしマレーシアでは, さらにそれを加速化する事情としてブミプトラ政策を考える必要がある. それは工業化の担い手として, イギリス系, 華人系のフェイズダウンと, ブミプトラの急速な発展が想定されているのであるが, 実際にはブミプトラが当面は十分な担い手たりえない状況のもとで, 結局のところ, 多国籍企業の経営戦略に乗るほかはないということになる.
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