史学雑誌
Online ISSN : 2424-2616
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129 巻, 3 号
選択された号の論文の4件中1~4を表示しています
  • 2020 年129 巻3 号 p. Cover1-
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/09/09
    ジャーナル フリー
  • 2020 年129 巻3 号 p. Cover2-
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/09/09
    ジャーナル フリー
  • 内務省社会局の参入と「海外発展」への期待
    滝野 祐里奈
    2020 年129 巻3 号 p. 1-34
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/09/09
    ジャーナル フリー
    ハワイへの官約移民に始まる日本人の大規模な海外移民及び植民は、国内外の政治状況に左右される形で、山谷を繰り返してきた。明治以後、多くの人びとがハワイ、そして北米へと移住したが、1908年の日米紳士協約によって事実上、米国への移民の途を閉ざされるに伴い、海外移民数は落ち込んだ。しかし、1920年代には、年間1万人から2万人もの人々が、再び移住先を、ブラジルを中心とする南米にかえて、海を渡るようになる。本稿は、この所謂「ブラジル移民ブーム」と呼ばれる現象の背景にあった、第一次世界大戦後の海外移植民政策・事業の変化とその規模拡大の過程を明らかにしながら、その政策的・社会的位置づけと特質の描出を試みるものである。
       1920年代の海外移民送出数の盛り上がりの直接的な要因としては、1924年に内務省社会局が実現したブラジル移民渡航費全額補助が挙げられよう。大人一人につき200円もの渡航費を数千人規模で国庫から歳出するという同制度を含む、一連の海外移植民政策・事業は、当時、過剰人口問題の解決策と銘打たれていた。ただし、1920年代後半には、国内で食糧と職業を賄えない人々ではなく、一定程度の資産を持つ層を、移民ではなく植民として南米へ送出することへと、政策の軸が明らかに変化した。こうした政策・事業の変化の背景を明らかにしながら、本稿は、前述の目的に沿い、第一次世界大戦後のブラジルを中心とする海外移植民政策・事業について、深刻化する社会問題の解消と、海外への土地投資及び移住地建設を結び付けるような社会的枠組みを与えるもの、即ち、日本勢の海外進出に社会政策の看板を掲げるという、社会帝国主義の相貌を有するものであったことを指摘する。
  • 鈴木 蒼
    2020 年129 巻3 号 p. 38-62
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/09/09
    ジャーナル フリー
    本稿は、文化史上特に重要とされながら、これまで研究が僅少であった、平安時代における書筆に優れ文字を巧みに書いた人々、「能書」の性質について考察を行ったものである。当該期における「能書」は、種々の依頼(命令)に応じてさまざまな文書の清書を行うという、彼らにしか行い得ない独自の社会的役割を持っていた。こうした彼らの書に関する能力は、九世紀初頭より十世紀後葉頃までは、紀伝道を中心とする大学での学習、あるいは親族間による書の技術の伝習という、二つの方法を中心として育成された。この二つを巧みに利用した小野氏をはじめとするいくつかの一族は、能書の一族として九・十世紀の間勢力を保持した。また、彼らはその能力を、天皇・皇太子といった権力者と人格的関係を築く一助としても活用した。
    十一世紀前後より、能書は自身の臣従する主君(権門)の命令による清書のみを行うようになる。また、十一世紀中葉までに摂関家に臣従した能書とその後裔以外の人物は、能書としては没落してしまう。こうした変化の背景として、十世紀後葉以降、権門が官人を掌握するようになるという、貴族社会の質的変容が考えられる。
      またこの時期、故実や特定の血統といった単純な書の能力以外のものが、能書にも求められるようになる。その中で、藤原行成という優れた能書を祖に持ち、故実の創出を行った世尊寺家(藤原行成子孫)が、十一世紀後葉には有力な能書の一族として立ち現れてくる。しかしそのために、九・十世紀に比べ、大学出身者の能書は大幅に減少する。また、鳥羽・後白河院政期には、院近臣の一族である勧修寺流藤原氏が、摂関家の能書藤原忠通との人格的関係や、複数の権門と良好な関係を築いたことによって、書の一族として急成長する。しかし、後白河院政の終了後、彼らは急速に能書役から退いたため、平安時代以降に書の一族として残ったのは世尊寺家のみであった。 
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