2025 Volume 24 Issue 2 Pages 57-69
多様な言語の文字をモチーフ1にした「くぐらせ期」の「みんなの絵あそび」
−幼児期と小学校低学年をつなぐ「多文化共生」に資する文字学習前活動−
岩坂 泰子(同志社女子大学)山田 文乃(立命館大学)
藤井 和代(NPO法人IKUNO・多文化ふらっと)
1990年の出入国管理及び難民認定法(入管法)の改正前後から、日本国内には、いわゆるニューカマーとされる外国につながる2人々が増加してきた。民間及び国の文書に「多文化共生」という言葉が出現するのもこの頃である。その後も少子高齢化による労働人口不足に歯止めがかからず、国は入管法を相次いで改正(2019年及び2023年)し、家族帯同を含む外国人の長期滞在は今後大幅に増えることが予測されている。こうした中、外国につながる子どもの就学に関する問題に対する対応と支援は、教育、保育の現場において喫緊の課題となって久しい。幼児教育、保育領域については、2017年の法令改定においてようやく、幼保小の接続のあり方について見直しがなされ、外国につながる子どもたちへの配慮等の記述3が見られるようになった。学校教育においては、2014年から導入された日本語指導を教育課程に位置付ける「特別の教育課程」(文部科学省)の施策が始まった。また、2022年から3か年を念頭に義務教育前後の5歳児から小学校1年生の2年間を「架け橋期」と捉え、全国の19のモデル地域において「幼保小の架け橋プログラム」(文部科学省, 2022)を実施中である。
しかしながら、研究者らの調査によると、保育現場における多言語多文化化によって生起する具体的な課題に対する保育士たちはさまざまな「困り感」を感じていることが報告されている。たとえば、鬼頭(2020)は、外国人非集住地区で外国につながるこどもが在籍する2つの保育園に勤務している保育士らへのアンケート調査を、林(2023)は、外国人人口が全体の5%を占める市の329の保育園及び認定こども保育園を対象にした外国につながるこどもの保育実践に関する質問紙調査を実施している。これらの報告からは、保育者らが「多文化共生」に関する知識や情報および経験の不足によって、身近な資源を具体的な保育実践に繋げることができないまま、試行錯誤の只中にあることが推察できる。
上述の両研究によると、保育士らが感じている「困り感」の中で最も大きいのは、言語面に関する問題であった。年少者に特徴的なのは、こども自身が問題を自覚できていない、あるいは、自覚してもその「困り感」を自分で言語化できない場合が多いことである。したがって、公正な社会の実現のためには、子どもを見守る周囲の大人である保育者や保護者が、「多文化共生」に資する保育・教育実践としての言語活動について思索し、議論する場を持つことが重要ではないだろうか。
以上のような現状を背景とし、筆者らは、1970年代から就学準備としての取り組みが行われてきた、後述する「くぐらせ期」の活動を参考に、多様な言語の文字をモチーフにした文字学習前活動「みんなの絵あそび」を考案した。この活動は、個別の文字表記を練習する学習材としてではなく、あそびとして提供することを想定している。本研究では、「みんなの絵あそび」がどのように「多文化共生」に資するか、またこの活動が、子どもと子どもを見守る大人たちを通して、どのように「多文化共生」を実現する公正な社会の構築に寄与するのかを検討したい。
「多文化共生」という用語は、1990年代初頭から新聞や論文等で使用され始め、1995年の阪神・淡路大震災で被災した外国人への情報提供を機に設立された「多文化共生センター」が一般に広がり、定着していった4。政府が初めてこの用語を使用したのは、総務省が「多文化共生の推進に関する研究会」を設置した2005年である。この研究会による報告書の中で総務省(2006)は「多文化共生」を「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的違いを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと」と定義した。一見、真っ当に思える定義であるが、この用語は、使う主体の社会的立場によって、意味にズレがあり、そのことに重大な課題が潜んでいる。
社会的立場の違いによる「多文化共生」の意味のズレとは何か。このズレは、日本国籍を有し、日本語に精通している多数の日本人(マジョリティ)と、日本以外の国籍や異なる言語的文化的背景を持つ外国人(マイノリティ)の間に存在する社会的に不均衡な力関係に起因する。多文化共生社会の実現のためには、自分と異なる他者(異質な他者)を認め、受け入れること、すなわち「寛容」な態度が重要だとされる。しかし、国によって発信される「多文化共生」モデルは、「支援」する側(マジョリティ)とされる側(マイノリティ)が固定的で一方向的な関係が前提となっているが故に、「対等な関係」が構築されにくい。応用言語学者の坂本光代は、『In Between-In Search of Native Language Spaces-(はざま-母語のための場をさがして)』(2024)というドキュメンタリー映画(監督:朴基浩)の中で、日本社会の状況について「多くの文化がそれぞれ集まってきて、みんなお互いに干渉し合わず個々がバラバラに生きている」と発言している。さらに坂本は、日本の「多文化共生」は、「日本人のやり方は変えてほしくない、自分たちは変わらない、でもあなたたち(マイノリティ)もいていい、そういう『多文化共生』である」と指摘する。この文脈において「寛容」という言葉は、差別的で侮辱的であるという。このことに関して、長年ドイツに在住する作家の多和田(2021)も、「寛容」という言葉には「本当は君のような人間は受け入れにくいのだけれど我慢してあげよう。我慢してやっているのだからあまり目につかないように生きてほしい」というニュアンスが含まれている、と指摘している。
学校教育において「多文化共生」は「国際理解教育」の一つの領域(多文化社会)の中で学習する内容と捉えられている(『現代国際理解教育事典 改訂新版』(2022) p.17)。しかし、政府が打ち出す公教育の枠組みは、「日本人」を対象とした国民教育を前提としているために、マイノリティは「日本人」に対して常に「他者化」された「支援」の対象としてしか捉えられないという限界がある。この構図は、学校や社会における「日本語教育」においては顕著に現れる。佐藤(2024)は、異文化間教育学の見地から、学校教育における日本語のみに特化した言語指導は、外国につながる子どもたちの日本社会への同化を強いることになると指摘している。こうした国民国家中心主義の枠組みにおいて「日本語指導が必要な」子どもは、「日本語はまだできないが、他の言語ができる」のではなく、「日本語ができない」子どもとしてしかみなされない。日本語ができない、それゆえに教科の学習ができない、という「できない」づくしの学校生活の中で、かれらの多くは、自分に自信が持てない、また、自分の母語(家庭言語)は、日本語や英語よりも価値の無い(あるいは低い)言語であるという「隠れたカリキュラム」を内面化することにつながる恐れがあり、アイデンティティ形成において深刻な影響が考えられる。
以上のことから、本研究において「多文化共生」に資するとは、総務省(2006)が提示した定義を、国民国家中心主義ではなく、地球規模の「広いコミュニティと共通の人間性への帰属を意味するグローバル・シティズンシップ」(菊池,『現代国際理解教育事典 改訂新版』(2022), p.245)の枠組みで思考することとする。この概念に基づき、筆者(岩坂)はこれまでに小学校での外国語活動が必修化された初期から「総合的な学習の時間」等で多言語活動5を試行してきた(例えば、岩坂ほか, 2015など)。幼児期の教育及び保育の指針では、遊びを通しての総合的な保育を行うとしつつ、小学校教育との接続、連携の重要性を強調している(内閣府・文部科学省・厚生労働省, 2014, p.284)。文字の扱いについては、園児の日常生活の中で、子どもの「(文字などの)記号としての機能と役割に対する関心と理解」(p.206)を高め、「文字を使う喜びを味わうことを念頭においた指導をすることが大切である」(同上)としている。「みんなの絵あそび」は、上記のような背景から発想したものである。次章では、「みんなの絵あそび」作成の根拠となった「くぐらせ期」について概観する。
「くぐらせ期」とは、様々な生活経験から得られる学びの差を埋めるべく、小学校に入学してすぐ、授業として子どもが0才から入学までに通過してきた、あるいは通過してきたであろう筋道をもう一度通らせる学習活動を通してレディネスを確認する過程および期間のことである。
1970年代、大阪市の同和・解放教育を推進した教師たちを中心に、子どもの国語科における低学力の問題を検討する中で、小学校入学時の読字調査の結果からレディネスに開きがあることが判明し、その克服を目指して「くぐらせ期」の構想が生まれた。この教育実践運動は、民間教育運動の成果に学び、文部省学習指導要領の言語活動中心主義を批判する立場にあった。この「くぐらせ期」の構想を稲垣(1987)は、「0歳から文字習得までの子どもたちの成長・発達の道筋のなかで、何が保障されてこなかったのか、それはどうしてなのかを追求していくことから、ひらがな学習を始めていこうとする」(p.130)と説明する。
子どもたちは、出生直後から外部環境の多様な刺激を受けながら成長・発達を遂げる。その際、個々の能力が独立して形成されるのではなく、相互に関連し合いながら統合的に発達していくとされる。そのため、くぐらせ期の構想は、文字習得に関するレディネスだけに注目するものではない。
現在でも、大阪府下の学校において入門期の教材として活用されている『ひらがな かなもじ指導教材集(第27版)』には、口の開け方、舌の動かし方、友達とペアになって行う身体遊び、手でちぎる、はさみで切るなどの活動が収録されている。加えて、この教材には、『こんにちはの いろいろ』と題し、世界地図と共に、世界の挨拶とその地域に住む子どもの写真が掲載されている。また、日本人と思われる子どもが、異なる文化的背景をもつ人と出会い、それぞれの言葉で「こんにちは」と挨拶しているイラストが描かれている。自分とは異なる文化との出会いがくぐらせ期に必要であると考えられていたことがここから推察される。
このような活動を通して、一人一人のレディネスを見取り、「児童各個人のつまずきをみつけ、そこをその児童各個人の出発点として指導すべきである」 (大阪市同和教育研究協議会言語認識部編1977, p.5)という理念のもと、「くぐらせ期」の教育実践運動が進められた。
「みんなの絵あそび」を考案するにあたり、筆者らは以下の3観点から基本的なポイントを申し合わせた。
【全体のコンセプト】
世界の文字の特性を活かし、自由に描く活動を通して、文字の運筆と形、文化の多様性に親しむ。
【文字の扱い】
文字を書くことの指導は積極的にはしない。ただし、子どもが記号をなぞりたいのであれば、それを妨げない。可能な範囲で、文字表記の方向が異なる言語があることに気づかせ、関心を高めるよう、始筆に矢印をつけるなどの工夫をしておくようにする。
【言語・文化に関する情報の提供】
以上の点をイラストレーターと共有し、六枚の絵が完成した。
申し合わせた観点を、六つの教材に照らして確認してみよう。【教材全体のコンセプト】が反映している点は、いずれのワークも、子どもが視覚的に楽しそうだと感じるあそびの要素が散りばめられていることである。言語の特徴的な文字の部分を絵の模様に見立てることで、子どもは学習とは意識せず、文字の筆跡を練習できる仕掛けを施した。模様を描くことで絵を完成させることを通して、子どもが達成感を味わえることをねらいとする。
【文字】の種類は、ひらがな、カタカナ、漢字(日本語)、ハングル(韓国朝鮮語)、アルファベット(英語)に加え、デーヴァーナーガリー(ネパール語)、アラビア文字(アラビア語)、タイ文字(タイ語)の一部をモチーフとし、全ての絵に複数の言語表記が埋め込まれている。日本語のひらがなの字形の特徴は、曲線的でループを含むもの(「る」など)や、横と縦の動きを協調させながら筆記具を動かす必要のある斜め線(「め」など)が含まれている文字があり、カタカナの字形は角張っていることが多い。また、ひらがな・カタカナともに「とめ・はね・はらい」を重視する。外国語には、右から左の方向に書くアラビア語や、ネパール語などは文字と文字をつなげて書くものもある。これらの文字の特性を反映させ、例えば、「おうさまのひげ」では、日本語の「はらい」をヒゲに反映し、洋服の模様では右から左に書くアラビア語を埋め込んでいる。
上記のような個別の言語文字の特徴は、子どもを「みまもる人」が子どもをより効果的に支援するための【言語・文化に関する情報】として絵の右下にある二次元コードから提供される。また、文化的な情報についても多様性を重視した。例えば、「おうさま」「いちば」「スカーフ」と一口に言っても文化や歴史的な背景によって、さまざまな様相や形態があることを示すために、複数の例を紹介している。そうすることにより、子どもが一枚の絵に描かれた対象(例えば「おうさま」)をステレオタイプ的なイメージとしてのみ認識することの危険性を「みまもる人」と共有しつつ支援してほしいという筆者らの願いを反映させた。
筆者らはこれらの絵を、大阪市生野区の①大阪聖和保育園と②この地域で多文化共生の実現を目指して教育や福祉活動を行っているNPO法人「IKUNO・多文化ふらっと」のイベントで設けたあそびのコーナーで提供し、子どもや親子連れの方々に活動をしていただいた。なお、この活動実践については、大阪聖和保育園の事務局長および「IKUNO・多文化ふらっと」代表理事の許可をいただいている。
4.1実践施設の背景と実践の概要
大阪市生野区は、全国の都市部の中で最も外国籍住民の比率が高い地域である。2024年3月現在、区民の約5人に一人(22%)が外国籍である。国籍・地域別では、78の国・地域の人が住んでいるが、中でも最も多いのが在日韓国朝鮮人、続いて、ベトナム、中国、ネパールの方が多い。大阪聖和保育園には在日韓国朝鮮人をはじめ、中国、ベトナム、フィリピン、ガーナ、ネパール、エチオピアなど計10の国と地域につながる子どもが20%程度在籍している。①は、2024年10月2〜3週目に、5歳児24名(担任3名)の自由あそびの時間に実践をしていただき、後日、藤井(筆者)が代表の保育士から聞き取りを行った。②は、この保育園の徒歩圏内に位置するNPO法人「IKUNO・多文化ふらっと」が主催したいくの多文化クロッシングフェス(2024年12月8日)で行った。「IKUNO・多文化ふらっと」は、廃校となった小学校跡地を活用し、区役所や大学、企業らと連携しながら生野区における多文化共生の地域内循環の社会的仕組みづくりに取り組んでおり、施設を地域に開放したイベントや防災活動、外国につながる小中学生への学習支援を行っている。支援を行うサポーターには、被支援者にとってロールモデルとなる外国籍の若者(高校生〜大人)も含まれる。フェスティバルでの「絵あそび」の現場では、筆者らは子どもらが活動する様子を観察するとともに、活動している子どもを「みまもる」家族や施設の支援ボランティアスタッフらからも意見を聞くことができた。
4.2 実践の結果
実践①では、5歳児に、この時点で完成していた「さかなのうろこ」と「おうさまのひげ」のワークシートであそんでもらった。保育士の聞き取り(10月18日実施)を以下のように整理した。
【モチーフについて】
・多くは塗り絵として楽しんでいるが、なぞりの部分を意識している子もいる。
・ひげはみんな描いているから、モチーフとして描きやすいのかもしれない。
・おうさまより魚をやりたい子が多かった。題材として子どもには魅力的なのか。
【文字記号について】
・始筆のマークにはあまり意識がむいていない。(理由として考えられるのは、指示記号としての→が細いのかもしれないので、もっと存在感があればその通り描くかもしれない)
・年長はちょうど文字に興味を持つ子も出てくる年齢なのでちょうどいい。
・KINGに反応している子どもがいた。「これって英語やんな」「そうやで、KINGっておうさまって意味やねんで」など、子ども同士、あるいは子どもと先生とのやりとりが生まれた。
・「さかなのうろこ」では、うろこに見立てたひらがな文字の一部を「(ひらがなの)『の』や!」と発見している子もいた。
【その他】
・他のサンプルがあったら、またほしい。
実践②では、園児から小学生の子どもが絵あそびコーナーに立ち寄り気の向くまま、気がすむまで自由にあそんでいった。また、子どもが友達を連れてくる子もいた。コーナーには、子どもの保護者や兄姉が付き添っている場合もあれば、子どもだけであそぶ子もいた。筆者らは、子どもの「絵あそび」の様子を観察しつつ、時に文字記号や筆順などに意識を向ける声掛けをしたりしながら子どもの反応をみた。また、子どもを「みまもる人」にもワークの意義についてコメントしてもらったり、かれらに筆者らのワーク試作の意図を伝え、かれらの意見を聞き取った。
絵あそびに興味を示した子どもの中には、幼児だけでなく、もう少し発達段階の進んだ小学校低〜中学年の児童もいた。日本語とは異なる文字の運筆、あるいは自分が知らない図形を描くことを楽しむ様子が見られた。
「みまもる人」の反応は、総じて非常に評価が高かった。例えば、2年ほど前にネパールから来日し、日本語の読み書きを習得してきた現在高校生(小学3年生の妹に同伴)は、自らの経験から、このワークを幼少期から行うことによりネパール語の文字と全く異なる日本語の文字体系に慣れ親しむことは重要だと評した。また、外国につながる学習支援ボランティアスタッフの一人は、文字の一部を絵の模様に見立てる発想は新鮮だと語り、そのようにして遊ぶことが筆順や形の練習になることは書くことに対する心的負担が減ると評価した。一方、子どもは、同じ年長程度の園児(4-5歳)であっても、性格や技能的な発達度合いによって興味を示す点が異なった。例えば、塗り絵を始めても、色鉛筆の芯の硬さが故に完成までに時間がかかりすぎ、疲れて途中でやめてしまう子や、筆者らが、模様を描いてみるように声掛けをしても、技能的に追いついていない子はなかなか一人では描いてみようという気にならないことが観察できた。しかし、手先の技能が発達してきた3年生は、楽しみながら模様を完成させることができた。(例は下図参照)
5. 結果の考察
5.1 「みんなの絵あそび」はどのように「多文化共生」に資するか
本研究において目指したい「多文化共生」は、国民国家を超えた地球規模の「広いコミュニティと共通の人間性への帰属を意味するグローバル・シティズンシップ」の枠組みである。この活動が「多文化共生」に資する根拠として最初に挙げられるのは、絵あそびのために筆者らがオリジナルで作成した「あそび絵」にある。このワークは、「くぐらせ期」の発想を「多文化共生」のための活動に応用し、日本語の文字学習のみならず、多言語・多文化に関する要素を埋め込んだ内容で構成していることが特徴である。3章の申し合わせで確認したように、ワークでは、子どもたちが身近に接する友だちの文化的背景とそれにつながる文字や、日常生活の中で触れる機会が少ない文字や文化をモチーフとし、上述した様々な視覚的、感覚的な工夫を施すことで、子どもが絵を完成させたいという意欲を高め、文字や文化に対する興味関心を持たせる工夫を施した。
このように多言語の文字や文化に慣れ親しむ体験を提供することで、子どもたちは異なる文化的背景を持つ友だちやかれらの文化に対して自然と興味や理解を深めることができる。幼児期は生涯にわたる感性や価値が育まれる人生初期の重要な時期である。「みんなの絵あそび」は遊びを通じて文化的気づきを深めるだけでなく、異文化への理解を楽しみながら自然に促す有効な手段となる。実践②で出会った外国につながる学習支援スタッフも、このことを高く評価していたように、この取り組みは、文化的多様性を尊重し、違いを認める「多文化共生」の土台を育む活動として大きな意義を持つ。自分と異なる生活様式や価値観を持つ人に対して、人は違和感や怖れを感じることから偏見の芽が育っていく。「みんなの絵あそび」は、そうした偏見や差別の芽が育つ前の自他の区別が少ない幼児期を取り組みのターゲットに設定したことに特徴があり、意義深い点である。
実践①の就学前の子どもの中には塗り絵に終始し、模様(記号)に意識が向かない事例が散見されたが、②では、小学校3年生くらいになると馴染みのない運筆の模様を描く(書く)ことに興味や関心を持ち、楽しむ様子が観察されたことから、幼児だけでなく、小学校低学年の子どもにも、この絵あそびは有効であったと考えられる。このことから筆者らは、活動の対象となる期間は従来の「くぐらせ期」よりも長めの年中〜小学校低学年くらいに捉えた方が良いのではないかとの見解で一致した。
5.2 「みんなの絵あそび」は、活動に関わる人たちに、どのように「多文化共生」のあり方をイメージさせたか
「絵あそび」活動は、子どもたちが自と他の言語や文化を同じ目線で尊重し、双方の良さを見出す姿勢を育むことを意図して構想した。しかしながら、自分と異なる言語や文化に対する好奇心は、「みまもる人」のこれらに対する関心が高くなければ育ちにくい。なぜなら、「みまもる人」が持つ世界観は、子どもの価値観に深く影響するからである。①の実践では、保育士たちの意識調査をするには至らなかったが、この保育園には在日韓国朝鮮にルーツを持つ保育士が複数いることから、一般の保育園に比べると、「絵あそび」活動の意味やねらいに対する納得と共感は得られやすかったかもしれない。実践②における外国につながる「みまもる人」の評価の中で多かったのは、このワークが自分の日本語の文字学習に効果的であることであった。一方、自分の母語が日本語と「同等」の価値をもつ文字として提示されていることに言及した人はいなかった。
これらのことから、筆者らが注目したのは、子どもの「絵あそび」活動に関わることを通して、「みまもる人」が抱える社会の「困り感」の根っこにある異なる他者を受け入れることの難しさに気づき、目指すべき「多文化共生」のイメージを共有することの重要性である。外国人が、自分の母語や母文化を日本語や英語よりも価値の無い(あるいは低い)言語であるという「隠れたカリキュラム」を内面化してしまうことが多い日本社会の中で、この活動は、マイノリティの人々がこれまで生きてきた社会で抑圧されてきた自己を解放し、エンパワーする一助となる可能性を秘めている。例えば、伝統的な衣装や内装を描くことで、ある特定の文化がマイナスのイメージを纏ったものではなく「すてき」なものとして心に残るかもしれない。このポジティブな印象は、異文化に対する好奇心と関心を自然に呼び起こし、文化の違いを否定的に捉えるのではなく、その良さを発見しようとする態度を育むのではないだろうか。本研究では、「みまもる人」がどのような「多文化共生」のイメージを持ち、またこの活動に関わることでどのような気づきと変容があったかについては、極めて限定的な情報しか得られなかった。「みまもる人」の意識調査や研修、あるいは自分の価値観を語り合う場をつくることは重要である。そのためのプログラム構築については今後の課題としたい。
本研究を通して筆者らは、本研究の取り組みは「グローバル・シティズンシップ」としての「多文化共生」を実現する潜在性を秘めた価値あるものであると結論づけた。ただしそれは、活動の対象である子どもだけでは実現せず、子どもの世界観に多大な影響を持つ「みまもる人」の世界観、すなわち我々一人ひとりがどのような「多文化共生」を理想とするかが極めて重要であるということについての認識を新たにした。外国につながる人は日本の学校文化を含む社会の中で、自分の母語が、日本語や英語よりも価値が無い(あるいは低い)という「隠れたカリキュラム」が内面化される環境に置かれる可能性が高い。少なくともワークシートの上では対等に扱われる「みんなの絵あそび」が、現実の社会においても出自に関係なく対等な関係性を回復させるべく、「みまもる人」を含めたすべての市民にとって「グローバル・シティズン」としての認識を更新する一助となることを願ってやまない。
<謝辞>
本研究の意義を深く理解し、快く実践にご協力いただいた大阪聖和保育園様とIKUNO・多文化ふらっと様に感謝する。
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山根俊彦 (2021). 『多文化共生教育の再構築のために−マジョリティの変容をめざす実践に着目して』横浜国立大学大学院博士論文.
「モチーフ」の原義には、毛系やニットの編み物でつなぎ合わせた個々の小片という意味がある。本稿ではこれを転用し、文字の一部を絵の模様を構成する小片に見立てる素材という意味を表す語として用いる。
日本国内の「日本語指導が必要な児童生徒」は、外国から来日した外国籍のこどもの他にも、国際結婚家庭で外国生まれの日本国籍を有している子どもなど、家族背景などが多様であることから、本稿では、こうしたこどもたちを「外国につながる子ども」と呼ぶこととする。
たとえば、『幼保連携型認定こども園教育・保育要領』「第4章子育ての支援」の第2の7では、「外国籍家庭など、特別な配慮を必要とする家庭の場合には、状況等に応じて個別の支援を行うよう努めること。」とある。
「多文化共生」という用語の形成過程については山根(2021)に詳しい。
多言語活動は、欧州の言語教育政策が依拠する「複言語主義」(大山他, 2022)すなわち、子どもの言語発達は、その子の頭の中にある全てのデコボコの言語能力が、相互補完的な役割を果たしながら一体となって進むとする考え方に基づいて考案された複数の言語を同時に扱ったメタ言語能力の育成を目指す言語活動である。岩坂ほか(2015)の実践では、日本語と英語を、日本の文脈で子どもが出会う可能性が高い韓国語、中国語、ポルトガル語、およびフィリピノ語と同等の価値づけをする教材を作成した。