抄録
(要旨)親鸞の聖徳太子信仰と浄土信仰や阿弥陀仏信仰との整合性について和讃を中心に四天王寺信仰との関係も考える。親鸞の読み方を参考にすると『四天王寺縁起』の「未来記」は、太子と守屋の「未来記」、太子と親鸞の「未来記」、親鸞自身の「未来記」、太子自身の「未来記」、「五逆誹謗正法」の悪人の自覚をもつ者の「未来記」、即ち我々自身の「未来記」になり、あらゆる人々を飲み込んでいく「未来記」になる。それを引き起こすものがあり、本願力が宿っているように見える。それは聖徳太子信仰による読み方である。そのように見ることで親鸞の聖徳太子信仰と浄土信仰の関係において悪人の扱い方に整合性があるのかということの答えは出ることになり、和讃から『四天王寺縁起』の「未来記」を通じた読み方によって悪人の扱い方に整合性はあると言えることになるだろう。