抄録
(はじめに)
『茂原市史』の編纂事業の一環として、令和元年7月より茂原市内の仏像の悉皆調査が進められている が、令和2年7月15日の調査で、茂原市早野所在臨済宗応徳寺所蔵地蔵菩薩坐像(以下応徳寺像)を精査することができた。かねてより知られるように、応徳寺像は典型的な法衣垂下式像であり、作風からその最盛期とも言える14世紀の制作と推定される。洗練された造形は当時の鎌倉仏師の技量を示すものとして高く評価されるべきものだが、造像以来一度も本格的修理を受けた形跡が無く、台座の一部も含めて当初の姿をそのまま保持している点が美術史資料として貴重である。さらに、矧面が緩んでいることにより、頭や脚部を外すことが可能で、体内も含めて像の構造が明瞭に観察できることも興味深い。ここでは、応徳寺像を詳細に検討して、宅間派 と呼ばれる工房の関係した造像であることを指摘、さらに他の法衣垂下式像との関係を考察しつつ、その造像の背景を模索してみたい。